タンクレディの日記
コタンクの徒然日記
2007'11.20 (Tue)
第386回「あなたは右利き?左利き?」
今回はパソコン以外の事も書いてみようと思います。
私は左利きです。
右は何とか読める文字を書ける程度、
それ以外は何も出来ません。
時々利き手を意識せずにペンを持つと
右で書こうとしている時があります。
なので本当は右利きなんじゃないかと思ってす。
私は身の回りの物が右利き用に作られている事に
あまり気付かないで生活していました。
ハサミやカッター、扱いづらいものがあっても
本来そういうものであるか、自分が不器用なだけだと
思いこんでいたのです。
そんな中、これは右利き用だ!と感じたのが習字でした。
お手本を真似してもそのようにならないのは
習字だけ。
書道教室にも通わされましたが、苦痛でやめてしまいました。
今は左利き用の書道なるものがあるらしく
少し興味があります。
左で本当に書道をうまく出来るのでしょうか?
体験した方、もしよければお聞かせ下さい。
最近はネットで左利き用のグッズとか売ってるんですね。
リストを見て感心しました。
私が過去に居た職場は左利き率が高く、もしかして右利きのほうが少なかったかも
しれない程です。
これって類は友を呼ぶんでしょうかね?
左利きは〜だとか、たまに特別らしき事を言う方が居ますが
至って普通です。
強いて言えば、私の知り合いだけで言うと凝り性が多いです。
右脳とか左脳とか、使う手によって関係してくるものなんですかね?
私は左利きです。
右は何とか読める文字を書ける程度、
それ以外は何も出来ません。
時々利き手を意識せずにペンを持つと
右で書こうとしている時があります。
なので本当は右利きなんじゃないかと思ってす。
私は身の回りの物が右利き用に作られている事に
あまり気付かないで生活していました。
ハサミやカッター、扱いづらいものがあっても
本来そういうものであるか、自分が不器用なだけだと
思いこんでいたのです。
そんな中、これは右利き用だ!と感じたのが習字でした。
お手本を真似してもそのようにならないのは
習字だけ。
書道教室にも通わされましたが、苦痛でやめてしまいました。
今は左利き用の書道なるものがあるらしく
少し興味があります。
左で本当に書道をうまく出来るのでしょうか?
体験した方、もしよければお聞かせ下さい。
最近はネットで左利き用のグッズとか売ってるんですね。
リストを見て感心しました。
私が過去に居た職場は左利き率が高く、もしかして右利きのほうが少なかったかも
しれない程です。
これって類は友を呼ぶんでしょうかね?
左利きは〜だとか、たまに特別らしき事を言う方が居ますが
至って普通です。
強いて言えば、私の知り合いだけで言うと凝り性が多いです。
右脳とか左脳とか、使う手によって関係してくるものなんですかね?
2007'11.23 (Fri)
第389回「兄弟、姉妹はいますか?」
私は三人姉妹の中間子ですが「お兄ちゃん」と呼ぶ人が一人いました。
その人は父の弟、つまり叔父です。
三姉妹が小学生の時、叔父は多分二十代半ばくらいでした。
彼と住んでいて一番記憶に残っているのはいい記憶ではなく
ケンカしたことです。
ケンカの原因は専らテレビのチャンネル争い。
当時は居間にしかテレビはありませんでした。
夕方に姉妹でテレビを見ていると、仕事から帰ってきた叔父が
チャンネルを勝手にかえるのです。
大抵そこでケンカになります。
彼は相手が女の子でも関係なく怒鳴り散らし、ひどい時には食卓が
メチャクチャにされる事もありました。
最終的に謝ればいいのですが、何故か謝る相手が私の母でした。
バイオレンスな小学生時代を過ごし、精神的に鍛えられた私は
幼心に復讐心を燃やし、やっつけるには体を鍛えないと・・等と
ロッキーの様なことを考え、毎晩寝る前には腹筋をしていました
敵を倒すにはカンフーがいいかもと思っていた矢先、叔父はあっさり結婚して
家を出ていきました。
結婚式当日、叔父が家を出ることに対しては大賛成でした。
寂しさは微塵も感じず、いなくなる事は三姉妹からしても晴れの日でした。
式の途中、叔父が目を潤ませながら私達の席に来て
「今まですまなかった」
と初めて謝ったのです!
バトルの歴史を思い出すと簡単に許したくないのが本音でしたが、
迂闊にももらい泣きしてしまいました
その日、三姉妹とお兄ちゃんの和平条約が暗黙の了解で結ばれました。
今では何も無かったかの様に、たまに会うとホノボノとした年寄りの会話をします。
そして三姉妹は共に戦った同士ような仲になり、皆離れて住んでいる割には
2ヶ月に一度は連絡をとりあう程の仲良しぶりです。
この関係を築けたのも、戦う相手がいたからこそなのかも知れません。
その人は父の弟、つまり叔父です。
三姉妹が小学生の時、叔父は多分二十代半ばくらいでした。
彼と住んでいて一番記憶に残っているのはいい記憶ではなく
ケンカしたことです。
ケンカの原因は専らテレビのチャンネル争い。
当時は居間にしかテレビはありませんでした。
夕方に姉妹でテレビを見ていると、仕事から帰ってきた叔父が
チャンネルを勝手にかえるのです。
大抵そこでケンカになります。
彼は相手が女の子でも関係なく怒鳴り散らし、ひどい時には食卓が
メチャクチャにされる事もありました。
最終的に謝ればいいのですが、何故か謝る相手が私の母でした。
バイオレンスな小学生時代を過ごし、精神的に鍛えられた私は
幼心に復讐心を燃やし、やっつけるには体を鍛えないと・・等と
ロッキーの様なことを考え、毎晩寝る前には腹筋をしていました

敵を倒すにはカンフーがいいかもと思っていた矢先、叔父はあっさり結婚して
家を出ていきました。
結婚式当日、叔父が家を出ることに対しては大賛成でした。
寂しさは微塵も感じず、いなくなる事は三姉妹からしても晴れの日でした。
式の途中、叔父が目を潤ませながら私達の席に来て
「今まですまなかった」
と初めて謝ったのです!
バトルの歴史を思い出すと簡単に許したくないのが本音でしたが、
迂闊にももらい泣きしてしまいました

その日、三姉妹とお兄ちゃんの和平条約が暗黙の了解で結ばれました。
今では何も無かったかの様に、たまに会うとホノボノとした年寄りの会話をします。
そして三姉妹は共に戦った同士ような仲になり、皆離れて住んでいる割には
2ヶ月に一度は連絡をとりあう程の仲良しぶりです。
この関係を築けたのも、戦う相手がいたからこそなのかも知れません。
テーマ : とりあえず書いとこ ~ф(゜゜) - ジャンル : 日記
2007'11.24 (Sat)
第391回「1週間旅行に行けるとすればどこに行く?」
このブログのカテゴリをトラックバックテーマにも登録したので
少しずつ記事を増やすつもりで引き続き記していきます。
一週間旅行に行けるとしたら沖縄がいいです。
海外は一週間では短いのでやはり国内がいいですね。
沖縄には4.5年ほど前に一度だけ行ったことがあります。
社員旅行でしたが比較的自由に過ごせたと思います。
それぞれのグループでレンタカーを借り、好きな場所にも行けました。
しかし、私は車に乗っていただけでほとんど景色を楽しむ事は出来ませんでした
そんな日に限って胃の調子が悪くなり、アレルギーが目に出てしまい
瞼が腫れ、周りはボヤけてしか見えなくなったのです。
友達と「明日はシュノーケリングしよう」
と言った後に瞼が腫れ、次の日は私だけホテルで留守番。
他のグループの人が不憫に思ったのか、彼らが向かう先の車に
私も乗せてくれました。
着いた場所はスロット屋。
皆は沖スロをやりに来たのでした。
スロットの操作を知らなかった私は皆とは違うフロアに行き、
一人でパチンコをやりました。
意外にも千円勝ち、スロットに敗れた彼らは違う場所へと移動しました。
移動している時から胃がキリキリ痛み出し、目的地の首里城に着いた時には
歩けない状態になっていました。
気を使ってくれている彼らまで巻き込みたくなかったので
彼らだけでも観光に行ってもらいました。
私は・・・やはり車で留守番
肝心な時に思い道理にならない体を呪い、何かを見ることもなくその日も終わりました。
確か2泊3日だったので、体調がよくなる頃にはすでに帰りの日となっていました。
買い物をしたかった私は、ホテルのお土産屋で土産を選ぶ事に燃えていました
時間ギリギリまで土産屋に執着し、パチンコで勝った思い出だけが残り
社員旅行は終了しました。
あれは私にしてみたら旅行ではなく
ただ行っただけでした。
今度こそ、沖縄で遊んだ感が欲しい。
(切実)
少しずつ記事を増やすつもりで引き続き記していきます。
一週間旅行に行けるとしたら沖縄がいいです。
海外は一週間では短いのでやはり国内がいいですね。
沖縄には4.5年ほど前に一度だけ行ったことがあります。
社員旅行でしたが比較的自由に過ごせたと思います。
それぞれのグループでレンタカーを借り、好きな場所にも行けました。
しかし、私は車に乗っていただけでほとんど景色を楽しむ事は出来ませんでした

そんな日に限って胃の調子が悪くなり、アレルギーが目に出てしまい
瞼が腫れ、周りはボヤけてしか見えなくなったのです。
友達と「明日はシュノーケリングしよう」
と言った後に瞼が腫れ、次の日は私だけホテルで留守番。
他のグループの人が不憫に思ったのか、彼らが向かう先の車に
私も乗せてくれました。
着いた場所はスロット屋。
皆は沖スロをやりに来たのでした。
スロットの操作を知らなかった私は皆とは違うフロアに行き、
一人でパチンコをやりました。
意外にも千円勝ち、スロットに敗れた彼らは違う場所へと移動しました。
移動している時から胃がキリキリ痛み出し、目的地の首里城に着いた時には
歩けない状態になっていました。
気を使ってくれている彼らまで巻き込みたくなかったので
彼らだけでも観光に行ってもらいました。
私は・・・やはり車で留守番

肝心な時に思い道理にならない体を呪い、何かを見ることもなくその日も終わりました。
確か2泊3日だったので、体調がよくなる頃にはすでに帰りの日となっていました。
買い物をしたかった私は、ホテルのお土産屋で土産を選ぶ事に燃えていました

時間ギリギリまで土産屋に執着し、パチンコで勝った思い出だけが残り
社員旅行は終了しました。
あれは私にしてみたら旅行ではなく
ただ行っただけでした。
今度こそ、沖縄で遊んだ感が欲しい。
(切実)
2007'12.10 (Mon)
第400回「今年ずっと夢中だったもの」
ブログにアップするイラストがまだ完成してないので
今回はトラックバックテーマにします。
最近なかなか更新出来なくなりつつありますが
時間がある時だけ地味に更新していこうと思います。
今年ずっと夢中だったもの
ですが、私は「もの」ではなく「こと」になります。
今年ずっと夢中だったことです。
それは節約です。
それ以前は服を買いあさることに執着していました。
仕事ばかりしていたので、自分にプレゼントをしまくっていました。
ちょっとした買い物依存だったのかもしれません
そのうち、そこまで欲しくなかった物のほうが多いことに気づき
一瞬欲しくてもじっくり考えるようにしました。
あと、旅行に行くと何故かバスタオルを必ず一枚は買っていて、
収納に収まらない程に増えました。
なので新しいバスタオルはどんどん使い、
使わなくなった物から雑巾にしたり、バスマットにしたり
リサイクルするようになりました。
私は縫い物は好きなのですが、昔から家庭科は
成績が5段階でも10段階でも評価は2でした
ド下手なのに縫い続け(手縫い)、失敗作だか何だか
分からないものが我が家でリサイクルされています。
縫う時にはいつも自分へのプレゼントにミシンを買っておけば良かった・・・
と、切に思ったりします。
私の考えは極端なので、そこから本気になり
少量のお湯でどこまで綺麗に洗えるか
とか
100均の洗剤でどこまで綺麗に洗えるか
とか
彼氏のシャツやパンツが破れても、縫って使い続ければどこまでもつか
とか
どうしたら買い物を最小限にして生活するかを楽しむようになりました。
私の感覚ではごっこという感覚で楽しんでいましたが、彼氏は
「これくらいは買おうよ」
と、さすがに節約生活に痺れを切らすような事を言います。
なんだかんだ言っても、私が縫ったものは着たり穿いたりしているんですけどね
これだけ頑張っても、節約生活に影響するスキルが私にはまだ備わっていません。
それは
料理です。
私の料理ライフは・・・
食べたいものを作る
残り物で気の利いたおかずは作れない
買い足したら節約の意味がない
散々考えた挙句、放置
材料が腐ったり、育ったりする
散々育ち、元の野菜は萎びたところで買い物
また料理
その繰り返しです
意味なし!
本来目指す事とやってる事は多少ズレがありますが、
一年間夢中になっちゃいました
今回はトラックバックテーマにします。
最近なかなか更新出来なくなりつつありますが
時間がある時だけ地味に更新していこうと思います。
今年ずっと夢中だったもの
ですが、私は「もの」ではなく「こと」になります。
今年ずっと夢中だったことです。
それは節約です。
それ以前は服を買いあさることに執着していました。
仕事ばかりしていたので、自分にプレゼントをしまくっていました。
ちょっとした買い物依存だったのかもしれません

そのうち、そこまで欲しくなかった物のほうが多いことに気づき
一瞬欲しくてもじっくり考えるようにしました。
あと、旅行に行くと何故かバスタオルを必ず一枚は買っていて、
収納に収まらない程に増えました。
なので新しいバスタオルはどんどん使い、
使わなくなった物から雑巾にしたり、バスマットにしたり
リサイクルするようになりました。
私は縫い物は好きなのですが、昔から家庭科は
成績が5段階でも10段階でも評価は2でした

ド下手なのに縫い続け(手縫い)、失敗作だか何だか
分からないものが我が家でリサイクルされています。
縫う時にはいつも自分へのプレゼントにミシンを買っておけば良かった・・・
と、切に思ったりします。
私の考えは極端なので、そこから本気になり
少量のお湯でどこまで綺麗に洗えるか
とか
100均の洗剤でどこまで綺麗に洗えるか
とか
彼氏のシャツやパンツが破れても、縫って使い続ければどこまでもつか
とか
どうしたら買い物を最小限にして生活するかを楽しむようになりました。
私の感覚ではごっこという感覚で楽しんでいましたが、彼氏は
「これくらいは買おうよ」
と、さすがに節約生活に痺れを切らすような事を言います。
なんだかんだ言っても、私が縫ったものは着たり穿いたりしているんですけどね

これだけ頑張っても、節約生活に影響するスキルが私にはまだ備わっていません。
それは
料理です。
私の料理ライフは・・・
食べたいものを作る
残り物で気の利いたおかずは作れない
買い足したら節約の意味がない
散々考えた挙句、放置
材料が腐ったり、育ったりする
散々育ち、元の野菜は萎びたところで買い物
また料理その繰り返しです

意味なし!
本来目指す事とやってる事は多少ズレがありますが、
一年間夢中になっちゃいました

2007'12.16 (Sun)
第406回「サンタさんからもらったプレゼント」
私はサンタさんの存在を信じない子供の一人でした。サンタからのプレゼントは、毎年私達が家の中でケーキを食べている時に
縁側に人知れず置かれていました

そんな私のクリスマスの楽しみは、親がサンタになっている時に
捕まえてやる事でした。
私達3姉妹はこんな時に無駄に結束し、縁側付近を監視していましたが
一度も捕まえることが出来ませんでした。
サンタ担当は父でした。
監視の厳しい中、プレゼントを毎年置いて
何も無かったかのように私達とケーキを食べるその素早さに
私は尊敬していました

でもプレゼントの内容は欲しいものだったためしがありませんでした

親がせっかく選んでくれたものでしたが、どう考えても使用頻度の低いものばかり
だったし、こんなことならお金がもったいないから要らないくらい思っていました。
例えば・・
小学校も高学年になれば、女の子ならファッションに関心を
持つものですが、その頃のプレゼントは何と!
竹馬とプラスチックのトランプ
でした・・・
サンタだろうと親だろうと、このプレゼントの手抜きっぷりは
子供でも分かるものでした。
毎年プレゼントを見るたびに、
「直接欲しいものを聞けよ!」
と言いたくなるものばかりでした。
でも、親思いの子供はそこで嫌な顔をしないで
メチャクチャ嬉しそうな素振りを猿芝居するのでした。
そこで得た教訓が
「欲しいものは自分で買うのが一番!」
でした。
サンタのプレゼントの中身はもういいので、
どうやって毎年父がプレゼントを置いていたのかが
今でも気になっています




